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熊本より / 発言者:yuka masaki

16日の本震からずっと、緊急災害放送局となったエフエム局で、少ないメンバーの一人として、毎日、マイクの前にて、情報を伝え続けております。
本当に小さい局ですので、二人一組で、担当する時間は1日に連続10時間前後。
昨夜も8時に入り、夜10時から朝6時半までを担当し、いま帰宅しました。
今夜も徹夜です。
自宅は水もガスもまだ通っていません。

それでもまだいい方で、家を失った人が、多数避難所へいます。
車の中で過ごしている人も沢山います。
物資は大量に届きますが、必要なところに必要な分量だけ、とはなっていません。
足りなかったり余っていたり。
街のあちこちで、多くの家が倒壊しています。
これまでの地震と違っているのは、まだ、今になっても活動が活発で、収束には向かっていないということです。。
そして、あまりに局地的な地震で、山を一つ越えると
まるで何もなかったかのような日常が広がっていて、県民の中にも意識の格差が大きくなっているということです。

余震が怖くて、建物の中にいられない人が沢山います。
まるで地獄の中にいるような気持ちになることもあります。

ただただ、必死で毎日を生きています。
先生に、いまは戦時下と同じと言われたことを身をもって実感しています。

先生が3年前に言われた言葉そのままのことが起きました。
君は何かあったらマイク持って走り回っているだろう、、、と、仰ったのです。
その「何か」が、これほどまでに酷いことであったとは。。。
熊本の人は、楽観的でちょっとボンヤリしてて、喉元過ぎたらすぐに忘れて、人と協力するっていうのも、東北と比べたら下手で、、、こんな危機管理のできてない土地に、なぜまた狙い定めたように、このような想像もできない、二万年に一回の震災が、、、と、思っても詮無いことを、つい、仕事が終わると考えてしまい、胸が痛みます。
まだ、泣いてはいません。

国は激甚災害の指定を渋っています。
こんなに酷い状態なのに!
見捨てられたと感じている市民が増えているように感じます。

テレビを見ると、地震をネタに、弄ばれている気がします。

個人的には、先行きが見えないどころか、先行きを考える余裕もまだ、ありません。


ウェブサロンを拝見しても、自分を責めてしまうのです。

それをまた振り切って
できることをいまは必死で、行っています。

ほんとうでしたら、今日は上京し、明日の神奈川での仕事に備えるはずでした。
ちょうど仕事の翌日がジェンダーで、一番に申し込み、心待ちにしていました。
日曜はアントレで、先生に2日続けてお会いでき、お話を聞けることを、指折り数えて待っていました。

命優先ですからと、故郷を後にして上京することも考えましたが、私がいま、放送局から離れるわけにはいかないと判断、苦渋の決断で今回の上京を断念しました。
受講生のかたのなかに、命優先しないから、こんなことになってるのよ、と、思われる方がおられたら、本当に悲しいと思っています。

故郷を、ギリギリで動いている放送局スタッフを、置いていけないのです。
どうしても、できない。

どうか、祈っていてください。
みなさんの気持ちが、何よりも支えです。

そしてもちろん先生、高麗さんの存在はなにものにも代えられない力です。

深夜、先生の曲をラジオで流しました。
熊本で、苦しんでいる方々の命守られますようにと、祈りながら。

曲を聴いてる間、深い息がつけました。
ありがとうございます。

踏ん張っています。







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