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正義をも凌駕する愛 / 発言者:yuka masaki

ヤマハ、そして三鷹でのコンサート、誠にありがとうございます。
伺うことかなわず、空間を感じ先生の存在に心馳せ、日々を過ごしております。
三鷹でのコンサート開始と同じ時間に私も故郷で舞台が始まり、90名ほどの方々を前にしておりました。
万難排し、先生のコンサートに行くことが最重要と重々承知の上です。それでも
ひとこと、お礼を書かせていただきたいのです。
このところ、ずっと考えていたのは、全体、ということでした。
いだきを受けた私たちは、全体を経験ーー先生にお会いし、コンサートや講座で経験をさせて頂いているおかげですーーできている。その奇跡のような経験は、単に一過性ではなく身に刻まれ、これまでの人間の生き方を超えた生き方をできる人間になっているのだと、本当に実感するのです。
はたから見たら、受講してない人でも、金も稼げていたり、いい生活をしていたり、様々に、よい人生を歩んでいるように見えても、ふとした時に、部分しか知らないということが、見えるようにわかるのです。全体を経験している私は、ここぞという時に、言葉を選ぶべきところですが、あえて言いますと、視点が高いというか広いというか、、、部分で生きて部分で表現する人とは、何かが決定的に違う、、と、わかるのです。
昨日も舞台上でそれをずっと感じていました。
そして、こんな幸せな人は、いだきの受講をした人しかいない、、、とやはり感じました。幸せな、という意味は、人間が生きるために本当に真に必要なことを、先生から貰っている、という意味です。
部分しか知らずに生きていると、どんどん歪んでいくのも見え、辛くなります。
先生に会えた一人一人の、なんという幸運なことか、、、。
コンサートに参加もできない人間が、何を偉そうにと我ながら思いますが、書かずにおれず書かせていただきました。

昨日は舞台上で第一声を発する前に、フッと先生を思いました。
先生はいつも、私たちの傍にいてくださっていることも実感しました。
大きな大きな安心感とともに、そこに立つ責任と有難さと、、、様々な思いを身の内に、私はこれまでもこれからも、いだきに出逢えた人間であることを命の核に、未来に向かっていくのだ、と、そう思いました。

今日は四谷でのコンサート、尊い三日間をありがとうございます。
来月にはなんとしてでも参ります。
ずっと前の面談で、一週間後に死ぬとしたら何をするか、という話を先生としました。
このことが、今まさに重要な日々であることも、身に沁みます。

とりとめもなく書かせていただき申し訳ありません。
お盆の時期、ずっと首から背中から、重いものがのしかかり、痛いくらいでしたが
今朝、すっかりその痛みが消えていました。

何も見えずわからないことだらけですが
この世あの世、過去も今も、全部を引き受けてくださり、解決のために常に働いてくださっている、いだきしん先生。
感謝にたえません。

そして高麗さん、いつもいつも、ありがとうございます。




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