Home > 高麗恵子 WEB サロン > 大いなる経験

大いなる経験 / 発言者:haruru

 昨夜、無理と諦めていたさくらホールのコンサートに、車で乗せてくださる方のおかげで参加がかないました。狛江の高句麗伝説では自分の意識の枠が壊れていくのを感じた経験でした。どうしようもなくあることが気になってそのことばかりが頭に上っていました。裏が表に,表が裏に、との表現を高麗さんがされたときに、人のためと思っていることはすべて自分が何とかしたいことであったと、意識の枠がひっくり返ったのです。じぶん勝手であったと。同じ言葉であっても同じ表現ではない、今、今の高句麗伝説を体感しました。
 先祖の代表である自分が、生きて今の時に初めて解放される経験をしていること、お金や時間やそのほかのことは小さなこととわかりました。個人を超えた経験です。自分の知っている亡くなった身内のことが次々と現れて、特に女の悲しみが報われていくのではないでしょうか。
 高句麗伝説の後、夜行バスで帰ってきてそのまま仕事をして家に帰り、翌朝、再び東京に向かう車に乗せてもらいました。私はただ乗っているだけで運転はできませんが、ほかの人のために、仕事のために、何度も往復してくださる人のただならぬ気迫に感動しました。とても自分のためだけのことを考えてはまねできないことです。
 昨夜のコンサートは始まる前からざわざわとしており、何かがいっぱい集まってきている気配がありました。演奏が何もかも光に変えてくださって、〈天〉というメッセージを深く受け止めました。成熟しないままで年齢ばかりを経て、死んでいくことだけはしたくありません。
車窓の風景は秋から笛へと移る季節の微妙な違いを感じさせてくれます。快晴の空と白い雪を被った昨日の富士山を見ていたら、ふとした車中の会話から10歳のころの夢がよみがえってきました。
 帰りは予期せぬ人が運転をしてくださり、あっという間に兵庫県についていました。かつて住んでいた懐かしい場所を通り始発の電車で帰宅しました。アントレに出ることはできませんでしたが、それ以上に、今年の内にこの経験をしたことを、来年に向けて新しく生きていく指針とします。
 ありがとうございます。ついこの間、私に天から微笑みかけてくれた大きな月は昨夜は三日月の姿。夜明け前の空から、今度は離れ離れでなく私一人でもなく、一緒に見あげることができました。

Home > 高麗恵子 WEB サロン > 大いなる経験

検索
Feeds

Page Top