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 / 発言者:nagao nobuco

仙台高麗屋さんの、15日ビデオ講演会の背景の絵が、美しく胸が、すきます。この美があるから生きていけると感じます。どんなに良い人も、優しい人も、どんなにこれまでの知恵を絞っても限界があり、抜け出し口の無い世界です。「いだきを伝える」という頭にシフトすることしか未来はないと行き着きます。ジェンダーについていつもいつも考えます。人が必要な仕事をすると考えるときに、これから100年の変化のとき、どのように変わっていくのだろうと、「はたらく」「役に立つ」とはどういうことか、生命感応から動くとはどういうことか。こどもらの顔を見るたびに、愛をわかる人、愛し合う男女が増えたらどれだけ素晴らしいかを感じ、自分もそれらをわかるためには先生の音をそのまま感じることよりないと鍛えます。以前先生が面談のときに「愛は利用するものではなく、ただそこにあるだけ」という意味のことをおっしゃり、わたしは「ギャー」と悲鳴を上げたい気持ちでした。ただそこにあるだけなのに、否定したり、ゆがめたり、引っ張りまわしたり、理由をこじつけたりする、非人間的なこと。そのまま、そこにあることを否定する状態、疎外状態です。いだきの受講生さんと接するように、大切に、柔らかく、どなたにも接していくよう、「いだき的」を身に着けていけるよう、次を目指しています。今日は1つ新しいことを始めました。

講演会で気付いた本音を認めるように動くとさまざまな気付きがあります。書き出していくと、怒り、で止まります。その怒っているところから先へ進まない自分が、ここ1年ほどです。怒ったまま、本音を見なかったことにするので、先進まず、怒ったまま。でも講演会のお陰でようやく直視して先へ進めそうです。

焙煎工場は、寄付をさせていただけることがありがたいですが、ここまでの道のりの大変さに、私は関わっていないので、ちゃんとそれをわかった上で、真の復興を理解しお力になりたい気持ちです。

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