Home > 高麗恵子 WEB サロン > 春の野辺のときめき

春の野辺のときめき / 発言者:sachii

上映会の音がぐいぐい前にでてきてものすごい音とものすごく深い奥から閃光を放つように詩のことばがきこえてきてました。目と肩が異常にいたくてたまりませんでした。そして、死についての講座のときには、コーヒー販売でおあいした方を思い出してならなかったです。6才の時に脳内出血で倒れ、今も左側に麻痺がのこっている美術の先生でした。3日間の展示販売で毎日買いにこられて、いだき講座、コンサート、全ておはなししたのですが、「ありがとう 、母にコーヒーを淹れてあげます。」と言って別れた時、悲しくてならなかったです。その後もたすかる道があるのにお伝えきれなかった沢山の場面が、次々頭にのぼってきて、さらに目も肩も首も痛くなりました。もうしわけないです。
山の上の工房でマーブリングのお手伝いと窯出しのお手伝いに入らせていただきました。釜の扉が開くと空気がやわらかくて、次に釜に入る心模様のグラスは光の花のように佇んでいました。もうまもなく春がくるよっと小さなつぼみが微笑んでいるように、釜からエスプレッソのカップとソーサーがでてきました。すみれのカップにあった時、うれしくてたまりませんでした。春の野辺をあそび本当にすみれをみつけた時のようでした。気がつけば目の痛いのがなくなっていました。高麗さんの心はすごいっと感じ、こんなに純粋で可憐で 美しい心はないよね。みんな高麗さんの心に触れたら、みんな微笑みがうまれるよね。っと夜道を歩いて帰りました。家に帰るとまた目が痛くなりました。すぐに端々にひっかかっていく愚かな状態で我ばかりだと認めます。
本日も応用コース、存在論をどうぞよろしくお願いいたします。

Home > 高麗恵子 WEB サロン > 春の野辺のときめき

検索
Feeds

Page Top