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 / 発言者:sachii

わたしが暮らしている空気や見ているもの、聞こえてくるもの、感じていることなど、どこにもない一瞬一瞬が生まれていく先生の音。闘うとかおしひろげていってるのでもなく、その一瞬一瞬生まれていく音の連続にあらわれる空間。今までしっていた言葉の 自由 ともちがう自由。ピアノを弾かれておられる先生の瞳は何をみておられるのでしょう。はかりしることなどできないけれど、先生のいのちは、何をきいておられるのでしょう。
高句麗の王様が、民が寝静まった時も 魔物などとたたかっていたことを、高麗さんの語りでおききしたこと、「美しく聡明であった」と「高句麗伝説」でおききした柳花様のこと、その時の高麗恵子さんの声。メッセージをおききしている時におもいだしました。いつの時も高麗恵子さんの瞳は何をみておられるのでしょう。何がきこえておられるのでしょう。わたしは、偶然にも何でお会いできたのか。いのちの奥のおおきな目標。夜と昼が溶け合い光が生まれひろがっていく音がきこえた時、身体の形もないようになって、しあわせです。2部の途中からは、一粒 一粒のコーヒー豆が世界に弾け飛んでいるようにきこえてしまいました。先生のお豆すごい‼︎
コンサートをひらき続けてくださり、ほんとうにありがとうございます。

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