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4月2日 / 発言者:haruru

 今朝、ゴミを出しに行き、ハッとして周りを見渡すと、京都では散っていたさくらがまだ満開で、あたり一面の桜色に改めて気づきました。桜の名所でもなく古い団地ですが、見渡す限りのさくらいろ。。。春が来て花が咲き、散っていくのを何十回とみていても、この感動は初めてです。引っ越しして初めて見る桜ですが、自然の命は自分の頭の小ささ、表現する力の足りなさを教えてくれます。場所がすこしかわるだけで切り取る風景も変わります。同じ場所でも時間や立場が変わると見えるものも違います。過去や頭の作った小ささにはまってしまいます。

昨日は高句麗伝説上映会、ビデオ講演会、応用コースと参加できました。言葉では表しつくせない感動や、先生高麗さんと出会えた意味、初めて知ったように感じたのは、家の周囲の桜に感動したのと同じ感覚でした。
自分の半端さをいやというほど感じました。手を抜かず懸命にやっているのと思っているのは不安と恐怖から来るだけで、それは本当の手を抜かない、ということではないでしょう。
自分のことだけでなく世界を変える場に表現の機会を与えられているということ。ありがとうございます。

畏れず向かいます。



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