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はっきりしてきました / 発言者:noda mayumi

京都での存在論、死について、上映会、応用コース、毎日のビデオ講演会に参加させていただき、ありがとうございます。
存在論で、不可知論のことを教えていただき、これから人と会う時に最低限確かめたいことがわかりました。今までは、人に何を聞けば分かり合えるのかがわからなかったですが、今日の存在論から、自分は年々豊かに輝いて生きていきたいのだから少なくともこのように生きたくない人とは何も始められないことはわかりました。年々豊かに生きるのに、感覚で捉えられないことは存在しないことならば、新しい経験は生まれず先の無い閉じられた世界の中で生きるよりありません。とても良く整理され、先生に直接お聞きできることの凄さも驚き感動します。先生が人のことをそのまま自分のこととしてわかる方だと、そして自分でわかって行けるように言葉にして下さることがやはり驚きです。世界でこの場とこの瞬間よりない尊さを感じます。人に対する時、言葉や態度から受けることが全てではなく、他に何かあるのではないかと期待し続けることは多々あります。自分が感じられないだけで、この人と分かり合える側面がまだあるんじゃないかと。最近、その人の根本的な考え方に触れる時に、これは分かり合えるわけもないと愕然とする経験をしました。人と何を話したいのかがはっきりしてきました。
「死について」では、先生が整理してこられた世界のことを話され、本当のことを知りました。「死んだ人のためにいる」状態では、無念な思いをそのまま繰り返して生きているのだから、成るわけがないとは納得です。無念な思いを繰り返すだけの人生に、意味を感じられないのは当たり前だったのかと。はまって生きる生き方しか知らず、主体的に生きるなんてあり得なかったことが良くわかりました。本当に、しっかり生きないとダメだと感じます。
昨日の上映会では、1/10の奈良の高句麗伝説を経験させていただきました。一人一人の生命輝き、大宇宙に柱が立つとの表現から、自然の豊かな大樹のように豊かに輝いて生きている生命を内に感じ、喜びでいっぱいです。
ビデオ講演会では、どれほど巧妙に生命の真の光が隠されてきて、その光を取り戻した人が生きていくことが人類の未経験のことであるかが良くわかりました。
その後の応用コースで、先生や高麗さんが生きているようには、生きたことがない自分が何故出会ってるのか?と問われ、もはや偶然とは言えず、いだきで生きられる可能性があるから出会えていると自覚します。
今は、一歩外に出ると問題だらけと感じます。自分の問題と考えれば、考え動いてみます。今やっていることを継続してやることの中で答えを出すこと。介護の仕事をしていますが、道が開けて行けるように生きることだと心して取り組みます。
ありがとうございます。

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