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東北の地にて / 発言者:noda mayumi

東北と日本の未来を語る会に参加させていただきながら、何も語れず帰りました。
母の体調が悪くなったことは、自分が半端に生きているからだと感じています。東北に向かう時もひつこく後悔していて、整理がつかないままでした。半端でない生き方とはどんな生き方なのだろうか考えます。先生や高麗さんの生き方は半端でなく、一貫しておられます。出会っているのだから、変われるチャンスがあり自分次第であります。先生のことをわかった方がいいとお聞きしていても、何をどうするのか考えます。経験していることを言葉にすること、頭で考えていることを表現すること。語る会で、聞いているばかりで表現できないと悪いことをすると言われ、自分はやりそうで怖いです。
先生のなさっていることをわかる人間になりたいと、2005年のレバノンコンサートで目指した気持ちを思い出しました。その時は仕事として行っているのに何も役に立たなかったので、とにかく先生や高麗さんがなさっていることを少しでもわかり、共にあるようにと考え行動しました。 私が自分の意思で向かい、生き始めた時です。全うな人間として生きたい、「全う」は全て一つである状態です。俗世間で人と物事をやっていくので、昔のくせで同じようにやってしまううちにブレていきます。あちら側に合わせても意味ないこと肝に命じます。
母は骨折していますが、その他のことは改善されて平穏に過ごせています。皆さんにご心配をおかけして、申し訳ありません。親子で先生に助けていただいた生命です。活かせるように生きていきたいです。
今日は、東北の応用コース、存在論に参加させていただきます。よろしくお願いします。

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