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京都の存在論、死について / 発言者:noda mayumi

人生って何だろう?何のために生まれてきたんだろう?と、子供の頃から考えてきました。何のために学校に行き、何のために働き、結婚して子供を産むのか。ずーっとわからずにきました。人を好きになったりすると、その時だけは夢中になるので幸せと感じましたが、それ以外の時は生きている意味はわかりません。30代の時に手相を見てもらうと「あなたぐらい思い通りになる人生は、面白くて仕方ないでしょう」と占い師に言われました。確かに、思い通りの人生でした。いだき講座を受けた時には次にやりたい「思い」が浮かばず、次の10年生きても仕方ないような、今から思えば絶望の中にいました。そんな霧の中にいるような毎日の中で講座を受け、受けたあとは、性格と思っていたことも、わかれば変わっていける経験から希望が生まれ、自分が変わることは伝播することを発見した時には、「これは本当に世界は平和になる」と感じ、生きることに希望を見出しました。あの時、いだき講座を受けていなければ、今も生きているかどうか疑問です。生きる方向は決まっています。
今日の存在論で「道徳や倫理など、頑なにある。壊れていかない。」とお聞きし、その元になっていることは何かは、まだわかりません。後半に神話の話をされ、確かに古事記などの神話から影響を受けているかもしれず、何度か読もうとチャレンジしていても漫画しか読んだことがないので、少しずつでも読んでみます。自分を不自由にしていることが自分の中にあるのだから、わかれば解放されます。
イギリス王室のことは全く知らず、日大ラグビーのことは正確には知りませんでした。全く「疎い」状態で生きています。自分はゴシップのようにしか物事を見ない傾向があると感じます。物事の本質をわかっていけないから、興味も持てないのだと思います。表面でとどまらず、少し先を考えていきます。
「死について」では、ソーシャルワークのアメリカの教科書には、テクニックではなく型に当てはめないartであると書かれていることを知り、とてもピッタリな表現に気持ち良いです。
霊界のお話は、何度かお聞きしているうちに少しは理解できてきます。生きている人間が、私自身も、これほど見えない世界の影響を受けているとは、日常生活では実感できないことです。自分は、運命を解放していただき、生き方がこれほど変わっていても、目に見えない世界で何が起こっているのかはわかりません。ただ、コンサートや講座で自分が経験したことはわかっています。講座で、拙い言葉でも先生に表現できれば、状況がガラリと変わること、先生の言葉から、後になってわかることの大きいこと。それは、普通ではあり得ないことです。自分でわからないことを、先生がわかる。どう考えても、不思議なことです。自分で自分のことをわかって、自律し生きていけるようになりたいです。
高麗さんのビデオ講演会では、ウェブサロンの大切さを改めて感じ、ここで表現できるようにもっと真剣に取り組みます。また、オープンにした方が良いとお聞きしたので、今、やろうとしていることを書いていきます。
今は、保育園を始めたいと考え、東京で物件を探しています。初めは、保育園が足りない事実を目の当たりにし、やってみようと考えましたが、調べるうちに保育士さんのお給料の安さに驚き、これは変えていかないとと感じます。私には子供がいません。どう振り返っても、産む機会はありませんでした。今は、精神的にも経済的にも生活全体に余裕があり、今なら子供を育ててみたいと初めて感じます。裏を返せば、過去は子供を産んで育てられる状態で生きていなかったです。保育園をやってみたいのも、子供がいないから育児に憧れているのか負い目があるのかもしれないと考えた時もあります。であれば、我を通すことなのかなとも思います。物件がなかなか見つからないのは、本音ではないからかもしれません。ただ、女の人が安心して子を産み育てられる世界を作りたい気持ちはあります。自分が産める時に、今のような余裕がある気持ちだったら良かったのに、と後悔する気持ちもあります。たとえ離婚しても育てられる社会になればいいです。先進国である日本の首都、東京で保育園が足りないことは、やはりおかしいと感じます。
明日の迎賓館コンサートを前に、今考えることを表現させていただきました。ありがとうございます。
明日も、よろしくお願いします。

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