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6月になり、、 / 発言者:Sumi Kobayashi

過去は終焉している。。。と、まるで新しい神話の世界から告げられたように感じた武蔵野のコンサートでした。
高麗さんの昨日の書き込みから、コンサートに集中できないのは過去に戻るからと、真っ先に目にも飛び込んで来ます。
気がついていながらも直してこなかった生きざまは過去が終焉しているのを知っていただけだったからなのです。命がわかっていなかったから、、、ではなく、頭が認識できなかったからと感じます。変わるよりないとき、隠していたこと、奥深くしまいこんで気がつかないようにしていたことがすべて明るみに出て変わるチャンスがありましたが、コンサートであんなに悲しかったのは過去で生きていたらもう生きてはいかれない涙なのか、終わっていくのがわかった故、新しくなるために泣いているのか、その両方だったと感じるのですが、新しくなるために、今までおろそかにして来たことを糺す一日一日になりました。

父が亡くなる前、お正月だったのですが、実家に近づいていくバスの中で急に胸が塞ぎ出し、悲しい空間に取り込まれたように感じたことをよく覚えています。それから少しの時があり、元気だった父が突然救急車で入院し、5月のこどもの日に亡くなってしまいました。96才の母は武蔵野のコンサートが終わった翌日微熱風邪をひいたそうですが、今日はもう微熱もとれ、最近覚えた家族ラインで、絵文字を使ってラインに参加もして来れるほど回復しています。母の元気さがあり自分の命にもつながります。コンサートが終わった日の夜に毎日通っている銭湯に行ったのですが、ドイツ人のとても大きな体格の女性がいて、どうお風呂に入っていいのか困っていました。たまたま私がいたので、一緒に銭湯に入り、お風呂の入り方など教えてあげるなか、その女性が、自分はこんなに大きな体をしているので気持ち悪いと思うか?と聞いて来ました。それから日本語ももっと話せるのだけど、英語で話した方が会話が楽しくなるし、あなたも少し英語を使うことができるから、もっと話すとあなた自身にもいいわ、と言うその表現が、人間としてコミニュケーションの豊かさを感じました。

人のことをみていない自分を糺していくこれからです。



     

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