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同志へ / 発言者:tmiyazaki

  どう生きたらいいのか苦しんでいる人の書き込みを見ると、その心情はよくわからいながら、何か一言いいたくなる。その「苦しみ」の救済法を知ってるわけでもないし、余計なお世話かもしれないが……。
 昨日も、12時間働き、日曜、月曜は、京都まで出向き、講演会や集いに参加し、月曜の夜は京都で講座を開催した。なんとか教員を続けたい、国語の先生としての力を養いたい、また、民謡研究や詩作も続けたい、さらには、いつまでも山に登り続けたいなどと思っているものだから、「苦労」が「成果」のようにも、「苦痛」が「実績」のようにも思えて、朝、出かける道などで、とても愉快になってしまうことがあります。ただし、「楽は苦の種、苦は楽の種」などと言うのとは違うのです。また、やせ我慢でも強がりでもありません。だから、ボヤキとか嘆きとかは一杯出てくるので、ノートに書いて流してから寝ます。前に、先生が「お金がない」なんて言うから金がないのだと言っておられたので、金銭や仕事や友人のなさについては公には言わないようにしています。また、高麗先生が、「お金がなくても買う」と、無茶なことを書いておられましたが、それもありなんだと、そういう心意気を楽しんでいます。嘆くより歌でも歌うことでしょうか。山に登るなんて苦痛の連続、商売を成功させるのは苦悩の連続、でもやりたい人はそれを越えて頑張ってます。わたしは、掃除をしたり、洗濯をしたり、映画を観たりして、気分を変えます。そして、「いま・ここで」自分を全開することに賭けています。

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