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自分の言語で決まる / 発言者:Sumi Kobayashi

声はずっと課題としてあります。おん、ということが少しもわからず、言葉は命とお聞きしても、わからないままに言葉を使って来ました。あ、という音と、い、という音を先生から直接お聞きしたときに、いちばん苦手な発声ということががわかり、え、という音も声楽にとっては難しいということも教えていただいて、知識として忘れたことはありません。
あ、め、という音の響き、日本人ならそのままわかればいいだけとお聞きして、先生がなぜ即興でピアノを弾かれたのか、コンサートを開催してくださっているのかが、あ、め、の音から響いてくるものがあります。まだ感覚として、おんを捉えているのかもわかりません。ただ、今まで、おん、ということがまるでわからなかったのですが、昨日の応用コースで、あめ(天)あめ(雨)ことばとしては同じ意味とお聴きしてから、コンサートとつながって響いていくものがあるのです。

人間としてどう生きているのかが、おんとしてそのまま現れているから、同じ昔話しをしても話す人によってまるで違う。
面白いも面白くないもことばの響き。
同じことを言われているようでも、人によって、優しさがあるか、批判精神が隠れているのか、それはよくわかることです。ことばの裏にあることを人は感じとり、取り巻く環境として現れてもいるのです。人のせいにするものはなく、全ては自分の現れなのです。

ヒステリーは自分中心。喧嘩をするとき、自分を押し通そうとするのはまさに自分中心で子供のままを自覚します。







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