- 2018-06-07 (Thu) 20:56 /発言者:tmiyazaki
- 高麗恵子 WEB サロン
「言葉の暴力は身体的な暴力より脳へのダメージが大きい。」と小児神経外科医の友田明美さんが言っていた。(朝日新聞5/26)「こんなこともできないの?」とか、「産まなきゃよかった」などの貶めたり侮辱したりの言葉は有害だという。しかし、傷ついた脳は回復するのだとも。「大変やったね」などの声掛けや、「脳へのご褒美」などと安心感を与えることによって、笑顔が戻ると、自信ができ、親子ともども変容していくとある。
言葉の力は大きい。しかし、言葉だけに全責任を負わせるのも危ない。素人が言霊を振り回すのも怖いと思う。先日の詩の朗読会で、「柔らかい言葉」こそ長生きの秘訣だと感じた。そして、言葉を発する側の人間の表情や姿勢や立ち位置も重要な要素であろう。「上から目線」の物言いと批判的にいうが、「上から目線」も必要であろう。抽象力や鳥瞰的な視点がなければ全体はつかめない。そして、「柔らかい言葉」でもそれが可能だろうと思っている。
今学校で、中島敦の『山月記』をやっていて、主人公が「誰かに呼ばれるような気がして」外に出、走っていくうちに虎になってしまう場面まできた。いったい、この「誰か」は何かと発問しながら、生徒たちと話し合ったのは、「柔らかい言葉」演習だったような気がしている。
言葉の力は大きい。しかし、言葉だけに全責任を負わせるのも危ない。素人が言霊を振り回すのも怖いと思う。先日の詩の朗読会で、「柔らかい言葉」こそ長生きの秘訣だと感じた。そして、言葉を発する側の人間の表情や姿勢や立ち位置も重要な要素であろう。「上から目線」の物言いと批判的にいうが、「上から目線」も必要であろう。抽象力や鳥瞰的な視点がなければ全体はつかめない。そして、「柔らかい言葉」でもそれが可能だろうと思っている。
今学校で、中島敦の『山月記』をやっていて、主人公が「誰かに呼ばれるような気がして」外に出、走っていくうちに虎になってしまう場面まできた。いったい、この「誰か」は何かと発問しながら、生徒たちと話し合ったのは、「柔らかい言葉」演習だったような気がしている。