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Yell / 発言者:NLhideyuki

おはようございます。朝起きると「こんなことをして何になる」とのわちゃわちゃした気持ちに包まれました。珈琲を味わう。あ〜やはりうまい。。。体の芯から安堵するこの美味しさ。朝にまず一杯の珈琲。これは私にとって必要なこと。
昨日は久しぶりに実家に行きました。「何かやりたいことはないの?」との私の問いに、祖母と母は「それどころじゃない」と。私はがっくりと肩を落とす。
訳が分からない。訳が分からなくなった。
朝買ったばかりの電子ピアノへ向かい、音を奏でていると落ち着いてくる。
最初はわちゃわちゃ聴こえていた音が落ち着いてきたけど、その時は何を考えていたの?と問われたので、先日の高麗恵子さんの講演会でのことを考えていたことを話す。
「本人を目の前にするとガッカリすることがある」とのお話に、最初は頭に来ていたものの、嘘偽りのなさがとても心地よかったのだ。どうやら解放感を感じていたようだ。
どうやら向かっているものがそこにあるようだ。
今までしがみついていたものはなくなりつつあるけれど、あてができた安心感があるせいか、不安に苛まれることはなくなったようだ。
そういえば、人と自分を比べて不安になることはなくなったような気がする。
この人に起こっていることが私にも起きたらどう思うだろう。
前回の書き込みに書いた、私が全て、の呪縛から解けつつあるようだ。
何で?どうして?理解できない。今振り返ると、理解できないのではない。
したくなかったのだ。理由は後付け。
生命の表現とも言えるようなものは、まだ見つかっていない。
気づいていないだけかもしれないが、だが、それでいい。
偽を本物のように表現するのは愚かとしか言いようがないからだ。
そうしたい人はすればいいが、私はしない。気が滅入ってしまう。
今日も高麗さんの書き込みを拝見させていただいた。
ありがたいとつくづく思う。豊かさを感じる。これも私には必要なこと。
歌を詠む。読むではなく詠む何だな。そんなことに興味が湧く。
仙台ではいよいよ焙煎なのですね。楽しみにしています。
訳が分からなくなったら、小細工なしに再び先生にお伺いすることも再開します。
生命の表現をそのままに受け止めてみたいのです。
今が終着点だなんて嫌ですもの。まだまだ成長したいですもの。

中川秀之

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