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「産を破り、心を狂わせてまで」 / 発言者:tmiyazaki

  『山月記』の李徴が「産を破り、心を狂わせてまで」執着していたのは、詩人として成功し、長安風流文士と交際することだった。ところが、今の高校生たちは、「詩人」になんてなりたくないので、なかなか主人公の気持ちがわからないのだ。なぜ詩人がいいのかもわからないし、「詩人」では生活が成り立たない現実を知っているからだろう。「じゃあ、なんになりたいの?」と聞いても、はっきりした志望も持ち合わせない。「本音」もわからない。ただ、先日の新幹線の殺傷事件のように、「だれでもよかった」から人を刺した、というのは理解を越えているようだ。「あれはだめだ。」と即座に否定する。でも、虎になるほど執着するものがあってもいいのではないか。志を見つけてほしいもの。そのために猛獣に成り果て、「人間の心」を失ってもいいくらいの! もっとも、「産を破り、心を狂わせてまで」は、修辞なのであり、金銭のことを無視して、あるいは自分自身のことだけに狂って、いいはずはない。必ず「もう一つ」の道があり、「正気」と「愛」とが源である新しい志を見つけられるはずである。高校生たちの「情熱」を育みたいものだ。

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