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「声で救う」 / 発言者:tmiyazaki

  地震の震源地の高槻に住む塾生の女性から電話がかかってきて、「先生助けてください。」と言う。「余震が続くし、水道は濁ったままだし、不安や心配で気持ちが落ち込んで仕方ない。子どもたちの手前、親がしっかりしてやらねばと思うのだが、どうにも気持ちが弱って仕方なく、神経質に張り詰めたままで耐えられそうもない。」とのこと。
  (どういうべきか、「頑張って!」なんて言うのも伝わらないだろう。いい年して「甘えるなよ」といなすべきか。)
 「いや、そうなって当然でしょう。それだけ大変な経験をなさったのだから。わたしなども昨夜は、お風呂に入らずに寝てしまうほど疲れてました。学校で缶詰めになったこともそうだが、家に帰って、散乱したものを片付けたりしていたら、そして、テレビで被害の映像を見るたびに、心が痛み、これから先の不安みたいなものに見舞われ、精神的に参っています。目が不自由なあなたが得体の知れぬ不安と恐怖の中にいて、心理的に疲れるのは当然ですよ。こんなときこそ子ども(二人の小学生の兄弟がいて、学校も3時間目までという非日常が続くので、やはり落ち着かないらしい。)に対しても気丈夫にふるまおうとするよりも、共に頑張って、この難儀を乗り越えようと、話し合って、できることから少しずつやっていけばいいのです。落ち込んで、おどおどしていていいのですよ。一人で抱え込まないで、みんなで分かち合って、生きていけばいいのです。言葉より表情や行動で示せばいいのです。」云々
  電話の向こうの彼女の声が和らいだのが分かった。「やはり聞いてもらってよかった。気持ちがすっと楽になりました。」と言う。そして、「先生の声に救われました!」と笑う。いままでわたしは、ずっと自分の声に自信が持てないでいた。甘えたみたいな鼻にかかった嫌な声でしかないと思っていた。しかし、先日、何十年ぶりかに会った知人は、「いい声を持っているのだから、どんどん唄えばいい。」と言ってくれていた。また、別の先輩には、「柔らかい声」こそが長生きの秘訣だとも聞いた。さらに、「声」こそは個性そのものように最近思っている。「ことば」で人を拓きたいし、「声」で人を救いたいものだ。

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