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「幻想即興曲」を聞いて / 発言者:tmiyazaki

先日の表現の会で、いかにも貧弱で暗い顔をした女性が、「わたしは最近不幸ばかり連続しています。」と言い、飼い犬の病気治療の出費、思うわぬ交通事故のとばっちりの賠償金支払い、家の水回りの修理費等々羅列した後で、ショパンの「幻想即興曲」を演奏したので驚いた。いかにクラッシクに疎いわたしでも聞いたことのある名曲なのだが、ちっとも美しくも優美にも聞こえず、何の感興も起らなかったのである。かなりのテクニックが必要な難曲をとにかく演奏しきったので、感心してもいいのだが、なにか彼女に怒りさえ覚えてしまい、ずっと気になっているのだ。
 もちろんショパンの意図は知らないし、なぜ「死後、破棄してほしい」と言ったのかもわからない。「即興」なのだから、その時その場でなければ感知できない美意識みたいなものをピアノで表現したのだろう。だけれど、それが今も世界中の人に愛されているのも不思議なことだ。ご存知のように美しい旋律の曲であるが、彼女の演奏には、むしろ怒りや不満が次々に出てきて、まるでそれと戦っているような状況にまで思いが至るのであった。こんな演奏はするべきではないとさえ思った。『羊と鋼の森』を読んでいたから余計そう思ったのかもしれない。
 「お金がない。」なんて言うから、余計その事実を認めてしまうことになるのだ、と先生はおっしゃっていた。ないものをあると言いかえたって仕方ないだろうが、ショパンが好きで、「幻想即興曲」が美しい、と思う心だけで、生きればいいのかもしれない。昨日話した、被災地の女性も、悪いことばかりに気が行ってしまうからいけないのだ。事実は事実として認め、それに負けずに、自分の人生を表現していけばいいのかも、と自分に言い聞かせながら考えている。しかるに、わたしには明日、「応用講座」という救済があるのだ。

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