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生きた言葉、信頼できる言葉に出会いたい / 発言者:NLhideyuki

おはようございます。先生お誕生日おめでとうございます。
ギターを弾くお写真はとてもさっぱりと気持ちよく感じられました。

「依存」に代わるエネルギー源を引き続き探しています。
嬉しくなる言葉に出合いました。もうちょっと人を頼った方がいい。自分のなかで解決しようとしすぎる。真面目すぎて。信頼できる意見を求めて、人に訊け。訊いて修正。この繰り返し。
上手くいかないと思い込んでいる時は卑屈になるから、どうしても、誰の力になっていないから自力で何とかしなきゃいけないと、遠慮して助言を聞きにくかったり、聞き入れづらいところがある。自力で何とかできたこともあったが、傲慢さ、卑屈さは増して、腐っていった実感があった。そんな時にこんな言葉をかけてもらうと嬉しくて涙が出る。この言葉はもう一つの視点も与えてくれた。訊く前から信頼できるか否か判断しようとそれのみで頭でグルグル回すことに疲弊するのではなく、まずは訊いてみることだ。これだと足を一歩前に出してみようと思う。頭で回すエネルギーロスもない。あとはやってみなければわからないのでやってみよう。
昨日は逆にねっとりと粘つく腹黒い言葉に出会った。不安と寂しさを抱えているとの指摘。それは分かる。もっともらしいことは書いてはあるが、どこか胡散臭い。他意はない、悪意はないと書いてあるが他意が滲み出ている。読んでも活力が湧かないのだ。=信用できない。最近はそのような言葉が届いても、手元にあると腹が立つので、基本本人にそのまま送り返す。受け取らない。黙って我慢してゴミ箱のように震えていることも、たかが人づきあいで卑屈になる必要もないと判断したからだ。(そうか!たかが人づきあいなのだ!)ただ、今回はお会いした感じでは今後信頼できる予感もあったので大変残念ではあった。ただ収穫はあった。腹黒さは苦手だということがわかった。苦手ということが分かったので、私は腹黒いですとこれからは表面に出すべきではない。私であればいい感じだなとの印象の方がじつは腹の底では「こいつ嫌だな」と考えていたことが分かったら大変ショックを受けることも分かったからだ。

本日京都へ出発します。どうぞよろしくお願いします。

中川秀之

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