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喜び 愛 世界は変わる / 発言者:Keiko Koma

どしゃぶりの中を琵琶湖ホールまで向かいました。昨夜の生命の光景を詩に表す時、「神の涙」と表しました。このどしゃぶりの雨は神の涙と受け止めました。琵琶湖ホールに着いてからもどしゃぶりの中を琵琶湖の畔に足を運び、湖の音に心澄まし、湖の底からの尊いメッセージを詩に記しました。人間の意識が強いと言葉は生まれない時もありますが、たとえ語れずとも先生が全てを表現してくださるので、歴史は変わり、世界は変わるのです。とてつもないはたらきと分かれば分かる程に畏れ多く、驚くばかりですが、誰にもわからないこのはたらきあってこそ、世界が確実に変わり、根源的に変わっていくことがうれしく、関われる人生は喜びを超え、お腹の底から笑いが込み上げる時があります。今日も世界が変わったことをどれだけの方が感じられたことでしょう。人間とし真に生きていかねば生きていけない世界が幕開けました。生きるという事は人間とし真っ当であることとなりました。水に溺れていることさえも気づかずに生きていた人が突然溺れていることに気づく映像が見えました。何もなかったかのようにありながら、根底から世界は変わり、人間の生き方が変わるのです。時を得た今からは全ては成っていくと見えます。
 6月23日は先生のお誕生日でありますが、沖縄の慰霊の日でもあります。沖縄の紅型の着物よりないと、今日の着物を見た瞬間、先生の存在が全面にあらわる6月23日はこの着物よりないと見え、決めました。日本で唯一地上戦が行われた沖縄の地にてコンサートを開催しないでは日本が良くなることはないとの先生のお気持ちから沖縄にて日の出から日の入りまでのコンサートを開催させていただいたのです。身に受けた苦しみは死ぬと先生にご指摘される程の苦しみでした。先生がおられるので、この苦しみも悲しみも解放されるのです。先生がおられなければ、人間の人生と考えれば生涯、歴史で見れば延々と解決しないままに子孫に受け継がれていくのです。今日は、世界中の戦争による苦しみ、悲しみが解放されると見え、歴史は変わることにいい知れぬ喜び、悲しみが入り交じる感動がありました。
 先生の演奏は海の底であったり大地の生命の息吹であったり、大自然、大宇宙に抱かれ生きる生命のはたらきをそのまま感じ、見えました。昨日も先生にお話させていただいたのですが、アナログシンセの音は太古の昔の生命を感じるのです。名前も知らない生き物の息吹を感じ、蠢いている音が聞こえても、詩に表すことは出来ません。五女山城に行った時、五女山に吹く風を先生が「宇宙なんてもんではない」と表現して下さいましたが、身を貫く悲しみ、光と出会い、愛生まれ、胸の内はどんなに号泣しても涙はおさまるものではありません。この衝撃を言葉に表すことは出来ないのです。が、先生が演奏し表現してくださるので魂は報われます。五女山に行かずともそのエネルギーを体感出来ます。先生がおっしゃっておられたことで、なるほどと感じますが、このエネルギーを感じられない人が五女山城に行ってもわからないのです。先生は自然の生命、全ての存在と一体となる御方なので、言葉に表現出来ない人生変わる程のエネルギーを表現して下さいます。自分で行っても感じられないことを「高句麗伝説」にて体感できるのです。体感されたお一人お一人は凄い人生を生きていけます。言葉は「風」と一言でより表現できませんが、先生の即興演奏により「風」をそのまま感じる事が出来るのです。とても説明できるようなエネルギーではありません。普段説明する言葉を使うことなど虚しくてやっていられないと今日は、言葉についてもしみじみと考えました。真の自分についても言葉によって表現した時に限定されてしまい、不自由になることを経験しています。生きることそのものが真の自分の表現と考えます。世界が変わるのも、自然と変わっていくことを今日は見ました。変わるという言葉の範囲では到底理解できないこととわかりました。わからない人にとっては恐ろしいこととも感じ、おおいなる存在あらわる時代に畏怖を感じ、身が震えます。
 過去、現在、未来という時間軸によって捉えることなど到底できない世界が拓かれています。人間は変わるより生きていけない時代となりました。凄い闘い方であり、この闘いに勝つことは誰をも出来ないとわかります。
 琵琶湖との縁は不思議です。偶然、ある日、古い会場にて講演会か「大地の声」を開催しました。何故大津で開催するようになったかは覚えていません。控え室で支度をする時、呼ばれるように外へ出たくなり、外へ出ると、そこはなんと琵琶湖の畔だったのです。私は予期せぬ美しい風景が目の前に現れ、一人歓声を上げ、一目散に湖の畔に駆け寄りました。懐かしい香りに胸動き、涙ほとばしりあふれます。聞こえるがままを詩に書き留めました。毎回琵琶湖での「高句麗伝説」にて詠まずにはいれない詩です。月の光に照らされ、琵琶湖の畔を肩を並べて歩く光景に涙あふれます。ある時、突然離れ離れになったのです。引き裂かれた悲しみが胸に刻まれていることを自覚し、琵琶湖との縁を考えることは続きます。今日もどしゃぶりの中で詩を書いた時に最後にこのことを書いていました。これからは人と人を引き裂く時代は終わったので、悲しみを繰り返すこともなくなると見え、自分の内にしみ程であっても残る過去から受け継いだ因子は全て綺麗にし、平和な世界を実現していける人間となっていけると見え、希望を感じています。
 全てはひっくり返り、世界も時代も変わったことをわからずに生きることは溺れ死んでいくのだと見えた時、わかれば希望の時代であり、わからずに生きることは恐ろしい時代と見えました。本当のことを分かって生きるのが人間です。わからずに生きて来れた今までが異常であったとわかります。
 奈良では。。。とこの後続く奈良での「高句麗伝説」は未知であります。心して向かいます。ありがとうございます。

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