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「聖徳太子の愛犬」 / 発言者:tmiyazaki

大和川を渡って王寺駅に着く手前で、「聖徳太子の愛犬」の看板が目に入った。「それは狛犬なのだろうか」と思って、これから向かう奈良の「高句麗伝説」が身近になってしまった。かねて聖徳太子と高句麗の関係を耳にしていて、太子を知ることが「高句麗伝説」が分かることと思っていたのだ。どうして「高句麗伝説」を行っているのか、--ずっと以前は、わたしもよくわからなかったが、今では、「建国の精神」を身に着けること、いまを生き延びる知恵と感覚を更新すること、(なんと聖徳太子は2030年にこの世が滅亡するという予言があるのだとか)、単にわが身のことだけでなく、アジアや世界中の未来を創っていくための創造精神を持つことなどと、その意義を語れるのだが、--うまく人に伝えきれない恨みがあるからだ。「イダキシン・コンサート」なら行くのだが、「高句麗伝説」はどうも合わないと勧誘を断る人が多い。第一、「高句麗」についてみんな無関心すぎる。そんな古い国のことなんか、何の関係があるの?と思われて。しかし、わたしもちゃんとは知らないのだから偉そうなことは言えない。(現にちょっと調べれば、「聖徳太子の愛犬」は“雪丸”という名の白い犬だったようだ。)会場について、高句麗衣装の美しい女性たちに囲まれながら、この人たちはよくわかっているんだろうなあ、などと、ちょっとまぶしさを感じる始末。
  「しかし、みんな元気なのだからいいじゃありませんか。」と、意義云々を語るわたしにTくんが笑う。たしかに、昨夜の「高句麗伝説」は、会場も立派で大きく、人数も多く、全国から人が来ているので、一番盛り上がったようにも思う。内面は十分に活性化したし、気力は大いに高まった。まるで温泉にでも入っているようで、半ば茫然とはしていたが……。終了後の人々の表情に試合に勝った人のような得意と満足があった。日頃無口なTくんまでも、冗談まで言う。二人で、「いだき」に出会えた幸運を語って帰る。
 再び大和川のそばを走りながら、なぜ「やまと」が「大和」なんだと思いつつ、その意外に悠久な大河ぶりにみとれている。もしかしたら、いろんな民族が大同和解したから「大和」なのかな。

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