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「自己責任論」を越えねば! / 発言者:tmiyazaki

  昨日叱った高一のクラスへ今日行くと、実に静かでみんなよく勉強するので驚いた。「いったいどうしたの?」「昨日叱られたから」――昨日青筋を立てて怒鳴ったのが伝わったみたいだ。やはり、教師が諦めてはだめなんだ、と改めて思う。
  橋本健二『新・日本の階級社会』(講談社現代新書)を読む。「格差社会」が確実に浸透していることを、多くのデータで訴え、世の中がいびつな方向に雪崩れていこうとする現代社会を浮き彫りにしている。そして、とてもこの状況を放置していくわけにはいかず、「リベラル派が結集して」「より平等な社会」を目指すしかないと主唱している。その中で、「格差拡大」を容認する理屈に「自己責任論」があることを問題にしている点に注目した。この語は、そんなに古い言葉ではなく、2008年の「広辞苑」第6版からだそうだ。「自分の判断がもたらした結果に対して自ら負う責任」とあるそうな。しかるに、少し考えればわかるが、「自分に責任の余地」があればのことだろうし、そこに明確な因果関係がみられる場合にのみこれは成立することであり、この言葉が「貧困を生みやすい社会の仕組み」を放置した人々の免罪符として使われているのではたまったものではない。努力したからといって成功するとは限らないし、その人の置かれた状況や環境を無視しているのだから、とても合理的な判断とは言えない。
  教育でも、よく「勉強しない結果」だからとか、「ふだんからの努力を怠っているからダメなんだ」とか、「自己責任論」は教師の最大の言葉の武器である。わたしも「まじめにやったのだから成果が出て当然」などとこの言葉で自分を律している。わたしの周囲の人も、「自己責任論」的言質で迫ることがよくある。まずは自分が責任ある行動をすることが第一であるが、人を評価するときには使うべき言葉ではないように思う。よくよく事情を聞いてみて、ほんとうにその人だけの問題かどうか知らなければならない。まずは、自分から「格差縮小」するように考え行動していかねばならない。手をこまねいてはいられない。(自戒の弁)

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