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体と言葉 / 発言者:noda mayumi

応用コースでは、いだきで何をしているのか
コンサートはなぜ開催しておられるのかをお聞きしました。言葉になっていく感覚がないのは、よくわかります。言葉は、頭で意味を知ることはできても、わかることはなかったです。意味を覚えることだけです。言葉の表現が生命と一致することは、いだき講座を受けるまで経験したことはなかったのです。愛という言葉で人がお互いに通じないことは、よく経験しています。人と人の境がなくなり、もともと1つである生命を感じることは、コンサートでしか経験できないことです。人と話すとき、よく勉強している人だと言葉だけの会話になりどんどん虚しくなってしまいます。理屈だけで話をしていても、何も解決しません。どこへも行けない。生きた言葉に触れる時、何かが動き通じ合えます。
先生が電車に乗ると、周りの人は何も知らず、体ってのは不思議で引っかかってくる、寝て起きてサッパリして。私も良く講座で同じ経験をします。先生にお会いすると、表現できればさらに問題は無くなります。本当に、身体は不思議です。年々、元気になって毎年今が一番元気な状態になっていくことは、やはり不思議なことです。自分だけで生きてるわけじゃないんだから、もう少しなんとかしてくれない?とは、本当にそうです。私は、人の体の状態をそのままわかることはありません。だけど、先生は私が気がつかないことまでもわかられるのです。せめて自分のことだけでもなんとかしようと考えます。
美味しいものを食べるように、無我夢中ではたらくことは素敵だろうと、想像します。仕事をしていて、何度も幸せだなぁと感じたことはありますが、もっと違う世界があると知りました。本当に自分が人の生命の役に立つなら、なんでもやりたい気持ちになります。自分の経験を、そのまま表現できれば良いのです。
上映会サロンの帰りに、三鷹コンサートのチケットを2枚預からせていただき、気になる方へお電話しました。身体の具合が悪くなられた方でしたが、8/17を待たずに3日のコンサートにも来られることになりました。お話ししていると、わかること気づくことがあり、すごいことだと感じます。
明日も、初めての方にお会いします。知らない土地で生きているように、ありのままをお伝えします。

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