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悲しい向日葵 / 発言者:nagao nobuco

昨日は近畿地方に複数のキャンバスを持つ大学の説明会があり、大学4年生は就職がきまっていて公務員になる、3年生は地元に戻りA銀行の内定を目指す、というお話を聴きました。わたしは大学生の頃はまだいだき講座受講前でしたが芸術家になりたかったので水商売をやりながら漫画を書いていました。以前の東北センターの催しで先生が「現代の人はポエム的になってしまっている」と仰り、とても理解できるのです。わたしが若い頃接して、なんとか食うために折り合いをつけて「やろう」と考えていたモノはポエム的であり、いまもなお、おのずとひとつになろうとする空間から我が身を引き剥がします。若き日の日常を逃れるための術はポエム的であり、先を作る芸術ではないこと、真とはかけ離れた階層にあること、わかります。倒錯的な美の世界に耽溺することは現代のアグレッシブな流れに沿っていないと感じます。



きのう嫌だった人たち2人の特徴は、共通して『自分をわかっていない』『自分がなにをしたいかわかっていない』ということでした。まさに自分の鏡だと、瞑想か、書道、茶道、華道か、と、自分に集中するべく故人が親しんできたすべを調べています。また、現代は先生のコンサートがあります。八方美人で誰とでもそこそこうまくやれる人は、その実、魂がないと、まったくのゴミです。雑音しかありません。どちらも近しい人なので、自分が変わることで解決をと望みます。せっかくの能力を周りのためにつかっているつもりが、魂がないと邪魔にしかなっていなくて、それもまさに過去の自分であるし、いまもまだ・・・。残念なことは変えていくよりないです。3日コンサートは人をお誘いしていましたが、これまで「行くよ」と言っていた人が理由もなく「遠慮しておきます」ときました。完売とのことでしたが、自分を変えて「いきていく道」を選ぶ方と出会えるようにと望みます。

トイレに貼ってあったカレンダーの向日葵の写真がなんとも悲しく映り、生きていこうと感じました。

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