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オウムとわたし / 発言者:tmiyazaki

やはり「オウム真理教事件」のことについて、一言いいたい。80年代からサブカルチャーの浸透に、わたしは新しい時代の到来を感じていた。知人の一人は、宗教学者として麻原彰晃と対談するほどの人だったが、“オウムシンパ”として批判され大学を追われた。かれの妻と親交があったので、京都かどこかでお茶を飲みながら、「いだき」のことに話が及び、「かれなんかはどう言ってるの?」と聞くと、「宗教じゃないとは言ってなかった」云々の返事だった。そのことがずっと気になっている。かれほどの宗教学者でも、そうではないと断定しないのは、やはりかれがわかっていないからだろうか、そもそも「宗教学者」とはなにをする人のことか、「神学者」とか「学僧」とかとどう違うのだろうか、あるいは、「宗教」とは何なのか――などと考え、答えを出せずにいる。「精神」のことを考え、「大いなる存在」について分かることを実践しながら、いつも「オウム真理教」が暗い光を投げかけてくるのだ。
 わたしが「オウム」に近寄らなかったのは、①瞑想とかヨガとかが苦手なこと。(非言葉の世界があることを否定しないのだが、そのスタイルとか独善的なところが嫌なのだ。)②あまりにも一人の人物の権威化・神格化が鬱陶しいこと。(すぐれた師に出会いたい、リーダーシップを発揮したいという思いはあるが……。)③閉鎖的な組織であり、ラディカルすぎること。(結果、様々な事件を起こし、その反社会性はとても容認できない。)の三点である。そして、いつか先生も言われていたが、たかが一新興宗教団体にすぎないのに、なぜにあそこまで武装ができ、テロ集団になりえたのかということ、どこかの陰謀があるに違いないとも思うが、それは、もう永久に解明されないだろう。
 死刑反対の立場ながら、「罪を償う」ことは可能なのだろうかと思うと、死刑執行に異議も言いにくい。「真にあだなす者は殺さなければ」とか言った麻原の言葉だけは抹殺したいものだ。

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