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自分の声 / 発言者:Kazue Fujiwara

弘前での高句麗伝説上映会に参加できると朝分かった瞬間、「生命拾いした」と咄嗟に言葉が出て、ひたすら感謝しかありませんでした。何に対して生命拾いしたのかは分かりませんが、助かったことだけは分かりました。その日の午後は、10日の手術執刀医の説明を受けに病院に向かいました。心の奥底で「誤診であってほしい」と願っていましたが、画像でガンを見せられた時はさすがに観念しました。淡々と説明を聞きながら全身麻酔のリスク等を聞くと、やはり「ならないで済むものなら・・・」と思ってしまいます。術後や退院後は、自分がどうなってしまうのか、歩けるのかすら分からず不安でしたが、説明を受け希望が見えました。ステージ1と分かり、「私は軽い方なのでしょうか」とつい問うたのですが、「何をもって軽いというのか分かりませんが、ガンはガンなので」とベテランの看護師さんに言われた瞬間、ガン患者である自覚がないことに気づきました。ただ、退院した後も歩けると聞き、どんなに時間がかかってもアントレプレヌールサロンに行き、先生にお会いできると考えただけで希望となります。翌日はYOSHIKIのディナーショー最終日のチケットも当たっていました。彼こそ人工骨を入れながら不屈の精神で不死鳥のように更に輝いています。そしてヤマハコンサートと続く日程は、何があっても頑張る希望となっています。ありがたいなぁと思います。夜はカフェ哲に向かいました。不正出血が続く中、検査を受けて不安な中で仙台や弘前に向かったことが、今となっては昔のようです。上映会が終わると同時に、何かが重苦しく声を出したくても後ろに引っ張られるような、口封じのような苦しさに包まれました。高麗さんが「カプセルに入っているみたいで苦しい」とおっしゃられた時、正にその通りでした。ある話で笑ってしまった事により楽になり発言しましたが、自分の声が耳に入ると同時に嫌悪感があり、話しつつもどうにもならない状態に陥っていました。妙に力んで不自然で素直ではありません。偽物の声です。「自分に決着をつけたい」の言葉に対し、高麗さんは「本音しかないよね。そうでないと、いつまでも周りをぐるぐる回ってるだけ」と仰いました。後ろに座っていたから、前の方にも聞こえるようにと大きな声で話した私の力み声とは全く異なる音を聞いた時、大きさではなく音と言葉が一致しているからだと気づきます。26日のサロンでも気づいたことです。自分が変わっていないのです。今日見たビデオ講演会は、正に「声」の事でした。自分の声を何度も録音した事、状況を変えていく表現に変えた事等、答えそのものでした。気づいてもそのままにしていたら、気づかないより質が悪いと今更ながら気づきました。7月5日の最終出社日の日報で、「自分の在り方を問う時間と捉え、今後をよく考えます。」と表現していました。正に正念場です。音と言葉、本音の表す意味深さを改めて思い知らされました。普段日常で話していたのでは到底気づかない事を、哲のサロンだからこそ自ずと気づきビデオ講演会で更に教えてくださる。ビデオ講演会を遅れて見ていますが、タイムリーであり改めてすごいと驚嘆しています。これが生命拾いだったのかと書き込みを書きながら気づきました。衝撃が大きいです。受け止めるしかありません。

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