Home > 高麗恵子 WEB サロン > 美の表現

美の表現 / 発言者:yuzu takahashi

昨日は勝山館での講演会をありがとうございました。初めて参加する友人と共に最前列に座り、高麗さんのお話を浴びるように聞かせていただきました。講演会終了後には、高麗さんから直接友人にいだき講座を薦めていただき、友人は受けたいと話しておりました。

いただいた『時の威力』のメッセージは、私が「風の詩」、友人が「源は愛」でした。
講演会前にいただいた白いコーヒーを飲み、友人は「薬湯のよう」と表現し、私は「全くその通り!」と感じました。
友人は白いコーヒー、私は「高麗屋スペシャル」コーヒーを購入し、帰宅しました。

本日は、朝から身体が苦しく、気持ちが沈み、必死で動きました。
ヘルパー先から帰宅後、昨日いただいた「風の詩」のメッセージを拝見したとたん、悲しくて大泣きしました。
先生、高麗さんにお会いしたくてたまらなくなり、「会いたい」と言葉にし泣きました。
それから、自分が感じている悲しみは、何を悲しんでいるのか、心臓に問いました。
「戦争で教え子を亡くした悲しみ」とふと浮かびました。
命の大切さを教え、将来、自分の命を社会に役立てていく尊さを教え、戦争に行って国民を守る尊さを教え、訃報を受け取り・・・
「自分たちのやってきたことはなんだったのだろう?!」深い申し訳なさ。絶望。その後の社会の矛盾。自分の中の矛盾。何を信じればいいのか?
けれども、その自分の考えを言葉にしてはいけない、封じ込め、隠さなければ生きられない。
これは、教員時代に本で読んだことに共感し、感じた悲しみだとしても、日本の教育界には、このような「自分の教えていることが信じられずむなしい」という感じが存在していると感じます。そして、「今、社会に求められていることをやればいい」という流される感じもあり、魂は真に飢えていると感じます。けれども、魂のことは学校で学ぶことではない、気もします。「教育」より、やってみせる「しつけ」に近いような気がします。

「人間性」は人間が生来持っている感覚と考えますが、それが目覚めるのは「人間性の美しさ」に触れ、心が震える経験をした時ではないかと感じます。講演会で高麗さんが「白頭山の美しさは、自分の黒いところを洗い流してくれた」とを話してくださいましたが、講座も、コンサートも、講演会も、アンドロメダエチオピアコーヒーも、高麗屋さんも、結工房も、マーブリング作品も、高麗さんの詩も、魂が美しいものに触れ、真を取り戻す機会です。

美を表現下さりありがとうございます。

Home > 高麗恵子 WEB サロン > 美の表現

検索
Feeds

Page Top