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限界 / 発言者:Kazue Fujiwara

手術前から這ってでも行くと決めていた2つ目の予定である、大好きなアーティストのディナーショーに昨夜行ってきました。6時半からフルコース、8時から11時半までのステージ、今回はさすがに長時間と往復歩いた為に、しんどかったと思っていましたが、理由はそれだけではないと後で分かりました。「明日からまた自分との戦いが始まる。皆んなもそうだと思う。人生の中で、その戦いに終止符を打つのは、いつなんだろうと時々考える。人によってその時は違うだろうけど、死ぬまで終わらないんだろうね。」彼の言葉を聞き、全員に感謝する姿を見て、確かに終わる時は死ぬ時だと考えていました。今年で参加する事3年目になりますが、本来夢中になって聞いている筈が、彼に見たのは「限界」でした。ピアノの演奏は相変わらず美しく、弦楽器やボーカルと素晴らしい世界観を醸し出しています。それなのに何故かと問うた時、構成が昨年から変わらないからと気づきました。飽きたのです。ラストに皆んなと歌う曲も、今まで数えきれない位歌い、感動し心揺さぶられていたのに、今回は様子が違います。これは私の中だけでなく、会場の空間がそうであり、歌声もあまり聞こえませんでした。まるで魔法が突然溶けたみたいです。昨年は彼自身の大手術と奇跡の復活、ドキュメンタリー映画が重なり、すべてが申し分なく完璧でした。ですが今年も似たようなものでは通用しません。常に毎回期待を裏切る感動がないと人は飽きる。と、ここまで考えていたら、アントレプレヌールサロンでの先生の言葉そのものが、彼を通じて逆に見えました。「常に壊し、毎回ゼロスタート、そのくせ一貫していること」 まさかこんな場面で分かるとは夢にも思っていませんでした。ホテル側、音楽事務所側、 彼のスケジュール等、様々なしがらみの中、「金づる」が見えます。最後にファンと丁寧に交流を図る時間を大切にする彼の笑顔を見ながら、不死鳥として今まで蘇ってきたこと、彼の一貫した生き様を願う夜でした。「嘘は駄目だよ」の「嘘」とは、様々な形があるのですね。面白い時代となりました。と同時に彼のファンとして、複雑な思いが残る夜です。

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