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人生 / 発言者:Keiko Koma

嫌な夢を見て目覚めた今朝は、気持ちが重く、厳しい暑さにもめげてしまいそうなしんどい状態となっていました。五女山焙煎コーヒーをアイスコーヒーにし、頂き、ポットにも入れて出かけました。外へ出ると、照りつける日差しに負けてしまいそうな自分に焦りを感じ、なんとかしようとポットに入れた五女山コーヒーを口に含むと、助けられ、本当にありがたいと感謝します。そして、工房にてスタッフが、三内丸山遺跡にて開催しました「縄文」のCDをかけてくれていましたので、その音と体のリズムがひとつになり、心の曇りも消え、一気に元気になりました。縄文のエネルギー、精神は、これからの時代を生きる要と実感しました。
 コンサート会場へは元気に向かえ、大変ありがたいです。会場に到着し、メッセージを読ませていただき、なるほどと感心し、体得したいと望みました。「お金のかからないこと」とうタイトルです。「お金をかけてもどうにもならないことがたくさんあります」とは深くうなずきます。お金もかからず、最も効果のあることのひとつとし、きちんと歩くこととは、知るだけで喜びが生まれました。ちゃんと歩くことができると、ネガテイブな思考から脱出できるとは、ありがたいと感じ、コンサートでの演奏を一生懸命お聴きしようと姿勢を正し、聴かせていただきました。懐かしく大変不思議な音と感じました。生命の奥深くでは遥か昔に知っていたような懐かしさを感じました。身を任せていけるひろい空間に身を置けます恵みに心から感謝します。ネガテイブな思考から脱出できるとのメッセージが心に残りました。眠っている時に見た嫌な夢と今朝の暗い気持ちを思い起こし、ネガテイブな思いがうかんだらこれからはきちんと歩いたり、体を動かしていこうと考えていました。繰り返し過去にとどまる頭の状態は何故なのかと一生懸命答えを出そうとしていました。何故と問うと、気が狂いそうになります。答えをみつけられるようなことではないと感じてしまうのです。その時、ふと気づきました。コンサート会場に向かう前にえりかちゃんに会った時、お腹が痛いと言っていたので、目を閉じ、原因を調べたのです。見えたままをお伝えし、えりかちゃんが答えてくれると、すぐに治ったと喜び、元気一杯、五女山焙煎コーヒーを皆に淹れてくれました。えりかちゃんが淹れてくれた五女山コーヒーは、生命豊かな実りの味がしました。全ては実る豊かな世界が拓かれていると見え、とても希望を感じ、心が明るくなりました。そのことを思い出し、苦しければ調べればよい、と気づいたのです。同時に先生のピアノの音を聴きながら、ピアノの音が同時に生命の声となり言葉にできれば、生きていけると考え、必死で聴いていたのでした。自分の状態を調べると、悪魔の目が見えました。神の目と表現していましたが、悪魔の目が正確です。それではどうするか、と考えた瞬間、また悪魔の目が現れました。悪魔の目があることを受け止めればいい、と受け止めると、悪魔の目は消えていきました。先生にお会いするということは、わかれば消えていくのです。ただただありがたいばかりです。そのことに気づくと可笑しくて笑いがこみ上げてきました。コンサート中でありましたので、笑いを抑えました。抑えるとまた可笑しくなることを繰り返しているうちに一部が終わりました。
 第2部は「愛すること」です。「愛することで自律し、そのような時を今もこれからも極めて当たり前な時代になりました。愛することを視点、観点にすれば事の良し悪しは瞬時にわかります。今から行くべき方向は当然わかります。世界は変わったのです」素晴らしいメッセージを心にお聴きしました。気を抜くと、すぐに悪魔の目が見えることが苦しく、なんとしても抜け出したい気持ちで必死になると余計苦しくなります。幼い頃から神と悪魔と関わってきた人生に疲れ果て、解決は、生まれ変わるよりないと行き着きました。いだきを始めた頃に、先生が私のことを書いてくださった詩に「神に愛され生きてきた 悲しみ」とありました。たった一言で、先祖高句麗の歴史から私の誰にも言えない人生の悲しみを表現してくださり、今までの人生を受け容れていただいたと感じ、涙で一杯であったことを思い出します。神に愛されという表現は生命でわかります。同時に悪魔にも愛され。。。と自分の内では悲しみよりありませんでした。今までの神では戦争を繰り返し、世界も人類も終わってしまう。新しい神あらわれなくては世界の平和は実現できないと、以前の「存在論」にてお聞きした時には、真の解決への道と世界平和実現への道を見出しました。今まで現れ出たことのない、おおいなる存在あらわる今を逃したら、人類も世界も終わってしまうとははっきりと見えます。21世紀となり、先生は神聖なる時代と銘打ち「D ivine Age」コンサートを開催し続けておられます。神聖なる時代は、人間も生まれ変わらねば生きていけないと身にしみる毎日となりました。1998年7月、母が亡くなる数日前、ギリシャにてひどい鬱となり、胸の苦しみを先生に訴えた時、「地球で生きていることが限界なのではないの。宇宙で生きていけばいい」とおっしゃったのです。生きていけない苦しみの極みにあり、宇宙と心の中で言うことで胸が軽くなり、その連続で日本まで帰るまでなんとか過ごしたことを思い出します。今日も同じ苦しみを感じていました。コンサート中に地球で生きる限界と感じた時、生まれ変わるよりないと行き着いたのです。偶然にも今日着ていた服は、地球が描かれていました。地球を脱ぎ、宇宙への旅立ちと感じました。
 家に帰り、「縄文」のCDを聴きながら、書き込みさせていただいています。波の音と三味線の音が交わる瞬間、魂震え、武者震いが起こり、深く感動します。縄文の地に立った時、宇宙と通じていることを感じました。高句麗古墳の中も背も立たない狭い空間に宇宙と通じている内面を感じました。おおいなる存在とひとつに生きる聖なる人間となるよりこれからの時代を生きていけることはないと身をもって感じました。アンコールにて先生の演奏とひとつに皆で手拍子を打つ時、「人生です」と何度も心の中で叫んでいました。親や先祖から受け継いだ運命により決まっていく人生を生きる今までの人間の人生は悲しいです。目に見えない世界に動かされ生きる人間の生命も悲しいです。たった一度の人生です。神と悪魔と関わり悲しみを繰り返す人生は悲しいです。真の人生を生きていきたいと叫び、手拍子を打つ時、胸の内は狂わんばかりに打ち震え、涙があふれてきます。
 神聖なる時代を生きる聖なる生命となり、真の人生を生きていけますように今日から生きていきます。
今日となりましたが、武蔵関のコナールにて午後4時からビデオ講演会をさせていただきます。ありがとうございます。

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