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おおいなる存在とひとつに / 発言者:Keiko Koma

昨夜は、書き込みを途中までしたことまでは覚えていますが、その後、何を書いたかも「珈琲からの通信」とのタイトルにしたことも覚えがないのです。何故かは眠かったからですが、暑さ故か頭の変化故か、最近は我も力がなくなり、大変ありがたいと感謝します。窯入れの時は我等あれば、到底できるものではなく、何時もこれ程の修行はないと感謝し、言葉に表し尽くせぬプロセスにはおおいなる存在と出会います。
 1000度近くなり、いよいよ私の出番と、消防士のような身支度をし、窯の前に座りました。炎の更に奥に存在する器に神を見ます。神とより表現できない聖なる存在を前に、自我などいかに愚かでちっぽけであり、何の役にも立たないことかは全身でわかります。子供の頃より負けず嫌いで、目的達成意識が強く、意志は強いと自覚しています。窯入れではそのような自我は一切無効であり、邪魔なだけであることを思い知ります。かといって、やる気ややり遂げる意志なくして炎の前に向かうことはできないことは当然のことですが、意識的な頑張りが炎を前にすると黒くみえ、おおいなるはたらきかけを追い払っていることはそのまま見えるのです。
 消防士の出で立ちをする前に淹れた檀君スペシャル珈琲からは、檀君あらわるとのメッセージを受けました。神とひとつに共にはたらくことを覚えればいい、と受け止め、神とひとつにあれるように内面奥深くを感じ、火を焼べました。いつもとは完全に違う炎の動きに、お手上げとなりました。が、炎からのメッセージもおおいなるはたらきかけのメッセージもよく聞こえました。己を正すという以前のこととは気づき始めましたが、心澄ましていると、「神があらわれ、神が判断する」とのメッセージが聞こえ、熱い窯の前から離れ、扇風機の前で少し涼んでいました。すると、先生が現れました。先生のご判断で、今日の仕事は終わることになりました。メッセージ通りの展開に、驚き、感動します。いだきで生きていると、全ての生命はひとつにつながり、全ては同時でありひとつであると身をもって経験します。この動きを経験したなら、世俗の何もかもが通じ合わない苦しみを繰り返しはたらくことは、あまりに無意味であると感じます。これからは神聖なる時代です。おおいなる存在とひとつに生きる生き方を覚え、身につけていくことが、これからの生き方とよくわかる毎日となりました。
 今日は、これから京都事務所にて講演会と午後7時45分頃よりビデオ講演会の公開収録をさせていただきます。ありがとうございます。

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