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生きること / 発言者:yumi suzuki

昨日の応用コース、「存在論」、いだきしん先生にお会いできることが待ち遠しく舞台に登場されたお姿に涙が出てきます。
先生の一言一言が生きる上で実践的であることがよくわかる本日となりました。先生のお話を100%聴ければものすごい情報量であり、ただお話をお聴きするだけでない身体の反応、変化もあり、同じところでぐるぐるしているのは、聞いてない、わかってないからということがわかる今日です。母の骨折をきっかけとして適切な対応をいち早く取れたのも、先生の老人ホームでのお話や脳科学のお話をお聴きしていたからであり、先生にお会いでき、余計なものがなく動ける身体になっているからとわかって、先生はいつのときも私たちが生きていける様に、あの手この手でで示してくださっていることを、事が起きてからわかるトロく愚かなことはやめようと心底決めました。母の骨折のこともあり、高句麗「麗会」もキャンセルさせて戴くことになってしまい、内面を問うと人間になることを問われていると感じ、最近は自分が招いている今の状況を、何故かをわからないと先へは行けないと感じていました。大津に移住してからは東京のサロンの様な高麗さんに表現する機会がないことも残念でしたが、「高麗屋サロン」を御所南の高麗屋さんで開催してくださることが希望でありました。前日の内に母の入院手続きを済ませて、とにかく「幻のkoguryo cafe」に向かいました。先生が焙煎された「高麗屋スペシャル珈琲」を高麗さんが淹れてくださり、珈琲に溶け込むスイーツといっしょにに戴くコーヒーの深い味わいと香りは、高麗屋スペシャルという名の通り歴史的で永遠の香りです。オープンしたての高麗屋さんには、たくさんお待ちの方がおられ、早々においとましましたが、魂呼び覚まされた後に、友人と会話は人間としての本質的な会話となり、自分が避けてわかろうとしない現実を招いている自分のあるがままをみました。非人間的な状態を言ってくれる友人との関係性もいだきを中心に生きている仲間だからと感じ、先生、高麗さんを中心に生きることが、どれほど人間になっていく経験をさせて戴いていると感謝よりありません。
再び「幻のkoguryo cafe」に伺い、高麗さんの淹れてくださったコーヒーを一口戴くと、涙が溢れて止まらなくなってしまいました。非人間的な傲慢、仲間たちの気持ち、先生、高麗さんがどれほど「生きる」ことをともにあってくださっているか、一瞬にわかり、生命にまとわりつく汚れが洗い流され清められていきました。そして珈琲からの魂のメッセージを高麗さんが詩に表して下さいました。「野原を駆ける風よび起こす香り」
存在論での「現実性」と「可能性」のお話は、現実の中に留まり動けなくなるのではなく、現実を受け止め、そこから抜け出す「可能性」で生きるを見いだしながら生きていくことが、生きること。先生の器のお写真からも「生きる」というメッセージを感じ、縄文人の生を体感します。
先生、高麗さん、ありがとうございます。

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