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「不安は良心の呼びかけ」 / 発言者:tmiyazaki

  前から気になっていることの一つに「オウム真理教事件」のことがある。なぜあれほどの知力のある人たちが暴走してしてしまったのか、「死刑執行」の前に明らかにせねばならぬことが山ほどあるではないか、外国の秘密組織とのかかわりがどうだったのかなど。で、今日は、『オウム真理教事件とは何だったのか』(市橋文哉著)を買ってきた。そして、これと同じうように気になっていることのもう一つは、ハイディガーがなぜ「ナチス」に入党してしてしまったのかというなぞ。現代の知の先端のような人がどうしてまた、と思い、「先駆的了解」の向こうに大量殺害があるように思えて、頭がついていかないのである。今日読んだ、筒井康隆の『誰にでも分かるハイディガー』の中にも、この辺から「ちょっと宗教的なってくる」と書いてある。しかし、「自分は責めある存在」と認識し、「良心の呼びかけ」に耳を傾ける、というところまではよく分かる。きっとオウム真理教の犯人たちも、そういう動機があったに違いない。それなら、なぜ良い結果に至らなかったのだろう。両者とも。
  同書の解説で、大沢真幸が、キリストのゲツセマイネの祈りに触れ、弟子たちがのんきに眠り呆けている状態が“気遣い零度”と説明している。世界が終ろうとしているのに眠っているとは!--またわたしの体たらくを反省してしまう。しかし、あまり追い詰めないで、「柔らかい言葉。やさしい声。しなやかな息遣い。」を保持することも大事だとも思っている。

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