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はたらく / 発言者:Keiko Koma

7月になりました。今年は今までとは何もかもが全く違うと感じ、早、下半期を迎え、畏れをも感じています。幸いにもはじまりの日に応用コースがあり、とてもありがたいと感謝しています。7月1日の朝は珍しく頭痛がし、風邪のような症状がありました。今までの生き方の表れと受け止め、完全に生き方を変えていかねば生きていけないと感じるはじまりでした。
 今日は、街中を高句麗衣装を着て歩く巡りとなりました。初めてのことです。見てはいけないものを見るような驚きの表情に何度出くわしたことでしょう。街中を高句麗衣装で歩くようになったら、世の中変わると表現していました。その時は偶然の巡りで訪れました。先生がフェレなんてもんじゃない、とマーブリングの高句麗衣装と陣羽織の威力をおっしゃってくださったので、誇らしく歩けました。私にとってのはじまりです。
 応用コースでのお話は、的を得ることができ、大変うれしく勇気づけられます。3日間の高句麗伝説が終わり、見えたままに3回のサロンを開催し、最後は仙台「高句麗伝説上映会サロンでありましたこともあり、今後の動き方が決まったのです。今日の先生のお話通り、「はたらく」と決めたのです。それも無我夢中で未開の地へ行き、開拓したい気持ちが生まれたのです。無我夢中ではたらく時が私にとって「生きている」と感じられる瞬間です。それも、いだき講座、コンサートは、人間の内面を変え、世界までも変えていける歴史的大事業です。はたらくことがそのまま世界の平和を作っているのです。何をしても心満たされない私は、世界が変わり、平和な世界実現に向かう動きをしている時だけは生きている意味を感じられるのです。今日もたくさんの親子連れを見ました。人間であればほとんどの人が生きている光景とわかっていても私には虚しく感じてしまうのです。暮らして行く為にはたらき、お金を得ても私には意味がない人生と常に感じてきました。この世に生まれた意味を実現し、存在あらわし生き、永遠なる魂で生きてこそが人生と考えています。親子であっても生命ひとつではなく、真のぬくもりも愛も感じられない関係を見ているとますます虚しく感じてしまいます。死についての講演会でお聞きしています「死んだらバラバラ」な関係であることは虚しいばかりです。
 今日は先生が何故コンサートを開催しているかをお話くださいました。言葉によっては、どんなに優秀な人でも通じない限界を見、コンサートをしていること、生きる上で最も大切な愛を表現してくださっていること。。。改めて身に沁み、すごいことと魂震えました。私にとって、コンサートは生命と等しく大切な機会です。先生にお会いすることは何よりも最優先とは、先生にお会いし
た時から決まっていました。生きるか死ぬかの選択とはわかっていました。今でも同様に感じています。たくさんコンサートを開催していますので、多くのコンサートのひとつを選ぶという捉え方では生きていけないと考えています。一回一回が生きるか死ぬかの一大事ですので、毎回大切です。コンサートを開催し始めた頃より、このことはなかなか理解していただけず、どんなに大切かと話しても通じないとは感じてきました。愛なくして人生を生きることはできず、愛のない家庭や職場で生きていることの方が異様であると愛を経験している今は、素通しなのです。愛がすべての基盤であるとわかります。
 3日の三鷹でのコンサートは、日が近づくにつれ、生きるか死ぬかと見え、お勧めせずにはいられずに、今日もたくさんの方々にお声をかけさせていただきました。お陰様で応用コースが始まる前には完売となりました。ありがとうございます。
 熊本城での31時間連続演奏のお話は私もずっと寝ずにはたらく経験をさせていただきましたのでよくわかりました。今考えると、この時の経験があったからこそ、色々なことができるようになったとわかります。その前には、いだきをはじめた一年目は30分睡眠が一年間続きました。必要なことをしていると、寝なくても食べなくても元気にはたらけることには今でも驚く程です。これからはこの時の動きが必要と考え、気持ちは決めていました。今日の先生のお話に未来が見え、大変勇気づけられました。美味しい物を作ることで、少し食べれば元気に働けるお話も真剣に取り組みます。先生が無我夢中ではたらくこと、暇がないとのお話が今後私が生き延びていけるか否かを決める要のお話と受け止めています。私はそのように働かねば生きていけないことを感じています。私は世界が平和になっていかなければ生きる意味を見出せず、生きている実感を感じられません。人類史上初めて平和が実現でき、人類の悲願が成る時を生きる人生でありながら、無我夢中ではたらかねばあまりに申し訳ないことと、今日は、自然と頭を垂れるのです。人類史上初めてあらわれでたおおいなる存在あらわる時代に生き、人間とは何かの答えを見出され、世界が平和に成る道も見出され、すべての答えを得られた先生にお会いしていながら、この樣では先祖にも申し訳なく、次世代の生命にも申し訳ない気持ちで頭を垂れたのです。私の言葉では償いをせねば先にはいけないと考えています。昨夜はずっと償いについて考えていました。供養という言葉も普段は使わないのに、心に浮かんできましたので、過去に生きた人の魂が報われ、子孫が生きていける人間の世を作っていくことをずっと考えていました。答えは先生がお話くださった事であります。人間とし償うべくは償い、生命が犠牲にならずに輝き生きていける世界を作る為にはたらくことが生きることと行き着きました。今後は急速と先生がおっしゃたように、私も今後は今までの比ではなく、大きく早く動いていくと見えています。みなさんもなんとかしてくださいよ、との先生の一言が心に沁みました。真になんとかせねば、申し訳ないばかりです。このまま死ぬ訳にはいきません。ラストチャンスとのお言葉も心に響き、自分でもそう感じていますので、言行一致で生きていきます。それ以外に生きることはできないことを今年に入ってからの毎日で身をもって経験しているのです。ありがとうございます。
 

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