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表で生きる / 発言者:noda mayumi

コナールランチに参加しようと、渋谷から山手線に乗ると、冷房故障で動きません。余裕を持って出たのに、待てども動きません。乗り換えるか迷っている間に、扉が閉められ出られません。車内は暑く人がいっぱいです。とにかく、いだき本社に遅れる旨を連絡しました。その直後、扉が開きました。一目散に他の経路で武蔵関へと向かいました。扉を閉められ、動かない電車の中にいる時の恐怖は頭が止まってしまいます。
自分の無気力さをなんとかしようと、人にコンサートの話をしに渋谷に来たものの、今の自分ではダメだと感じます。そして、あの電車の中に閉じ込められた数分間の怖さ。動けない、周りの大勢の人も動かない。待っていれば確実に遅れてしまう。まさに自分の状態でした。ここに留まっていては、手遅れになる、人が動かなくても自分は動かないと。誰も出ない扉から人をかき分け外へ出て走りました。もう、本当にギリギリです。数分遅れでコナールランチに参加させていただき、美味しい食事をいただきながら、素直にそのまま自分の気持ちを話せる機会をいただき、本当に感謝しています。こんなことを人前で話すことは恥ずかしいと感じていましたが、頭の中でグルグル回ることも限界で、言葉にしました。私には伝えるべきことがあり生きているとわかっていながら、怖いからと表現できない状態で13年が過ぎています。
逃げ切りの人生のお手本は父です。認知症の父は、「いいお父さんやったか?良い子供に恵まれて、自分の人生は良かった方かな」と私に承認を求めます。自分の人生は、やりきって死ななければ、人に何を言ってもらい慰められても虚しさが残ると思い知らされてきました。時代もあります。父も革命に憧れ、宗教を求め、生き方を模索したけれど見出せなかったのは、父の個人的な理由だけでは片付けられないことだと感じます。
私は資質を生かして生きることができます。人類史上初めての生き方が始まったことを伝えることが自分の資質を生かして生きることです。1人でもわかる人がいれば表現できるとお聞きし、その1人になってみたいと望んだレバノンから始まった生き方です。わかりたいなら、わかる方向へ動くことです。コソコソ生きてきましたが、もう隠れるところもなくなりました。郡山の開拓へ参加させていただくことを決め、新しい風が吹いています。

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