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五女山の風 / 発言者:Keiko Koma

コンサート翌日は、心臓の曇りとなっていた中国でのコンサート開催について、お話をさせていただき、そのまま通じることができ、心臓の曇りが晴れ、心から感謝します。曇りが晴れたら、秋には五女山に行ってみたい気持ちが生まれ、五女山の風が吹いてきました。小学校から帰ってくるえりかちゃんとお友達を道端でお迎えした時、何か特別なことがある訳ではないのですが、うれしくて皆で立ち話をしました。一区切りがつくと、それぞれ家路に帰るのです。小学生と話すことは楽しいです。思わずえりかちゃんに五女山に行く?と尋ねていました。2度と飛行機には乗りたくないとの返事でした。もっと子供の頃は、五女山へ行こう、と手をあげて叫んでいたよ、と言う会話も楽しい会話でした。行くか否かよりも、行くことを考え、話している時は胸がひらき、未来への希望が生まれるのです。
 見えたままに、「五女山から眺める星空 語り」をさせていただきました。地下ギャラリーには五女山にてコンサートを開催したいと望んだ時に描いた心模様のタペストリーが展示されています。ビデオ講演会収録の時に暗かったので、マーブリングの屏風を置くようになり、隠してしまったのでした。6月23日を前にし、偶然行うこと、見えたままに動く時、以前描いた心模様作品が隠れていることに気づき、心模様を表に現す時とのはたらきかけを受け止め、表に現しはじめました。今日は、「五女山から眺める星空」のタペストリーから作られた空間にて薫る香り、吹く風を語らせていただきました。壁も全て好太王ブルーのオーガンジーに変えていただき、全面が蒼い夜空となっていました。
 吹く風は五女山の風であり、集安、丸都山城の風です。私は、高句麗の地に居る時が最も私らしいことを風とひとつに語らせていただき、気づきました。当時はどんなに困難なことがあっても辛いことがあっても一年に一度高句麗の地へ行ければいつも元気に生きていけると言っていました。今日は、五女山の風が吹いていました。東京に居ても五女山の風が吹く空間で生きていけることを経験し、いつも五女山、高句麗の地に居るように生きれば、私らしく生きていけると気づき、今からはそう生きていきます。
 10年以上も前に書いた詩書を読み上げた時、時は今でした。今日、風が吹くままに語らせていただいたことがそのまま書かれていました。予言書であると魂震えます。時は来ました。毎日五女山に居るように生き、元気にはたらきます。
 先生がコンサート後に嘘がばれ、これから大変だ、とおっしゃた一言から個人、社会の状況は真に嘘が全部露わになり、自分に返ることが見えました。先生がコンサートメッセージとし宣言し、即興演奏により表現された時は、世界が変わります。このことをわからなかったり甘く捉えていると大変なことになると見えます。これから大変だよ、との一言は壊れるものは壊れ、真実だけが残ると見えました。嘘の元は嘘と、コンサートメッセージにて知った真実により、今日は、理解できないことがあっても、嘘は嘘と、どこまでいっても嘘と受け止めることができ、助かりました。嘘は嘘とし明らかとなり、真は真としあらわれます。
 20年前に五女山を眺める湖の辺りにて聞こえた魂の声を受け止める今となり、驚いています。初めから勝負はついていたのだとも見え、真実は強いと感服します。私自身もやっと受け止めるよりない状況となり、聞こえてきた魂の声は真と認めます。高句麗ははじまりが真であったので、真を貫くよりない魂とわかり、誇りと感じ、私も真を貫き生きていきます。
 何がと具体的に表現すれば人生であり歴史となります。生きることで表し、証明していくのだと考えます。高句麗の魂もいつも真を明かすようにはたらきかけてくださり、真の実現は魂の悲願であると考えます。魂総動員で向かう平和実現への道です。
 毎日コンサートを。。。毎日講演会を。。。毎日「高句麗伝説」上映会を。。。と平和への道を考える時に見えることを実行していく今です。勿論毎日コンサートも講演会も実現できませんが、その気持ちで動いていきます。毎日「高句麗伝説」を。。。と言った瞬間、その場にいた人が悲鳴を上げたことがあり、表現しなくなりましたが、毎日「高句麗伝説」も見えたことでした。
 今後は、見えたままに実行し、毎日活動趣旨を表し、お伝えしていく機会を創っていきます。やりたいように動き、新しい時代を作り上げていけることはありがたい人生です。ありがとうございます。

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