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マーブリング人生 / 発言者:noda mayumi

死刑のある国で生きていることは、死んで償えるという教育があり、死んだ後の世界のことは「無い」ことが前提だからです。70パーセントの人は死刑に賛成しているのはこの考え方が日本の常識なのでしょう。私も、今までは死刑が正しいことなのかどうかと考えたことはありませんでした。被害者への補償が少ないことなど、今日お話を聞き、関心を持っていなかったと気づきます。
狩猟民族と農耕民族のお話で思い出したのは、私のずっとずっと前の先祖は水がどっちにあるのかをわかる賢い人だったと、六本木ラフォーレのコンサートで水の映像を見ていて感じ、いだきのイベントではその原始の勘がよみがえってくるような予感がありました。それ以外に、未来が明るくなる感じがないことがよくわかり、それがよみがえってくるなら生きていけると感じたのをはっきり覚えています。応用コースの前に、マーブリングの新作に夢中になるのは狩猟的なときめきだと感じます。自分は、狩猟的な感じが強い反面、農耕的な権力や法的なことには無知で無頓着であることで負けていると感じます。経験から何かをやろうとすることも強いです。社会に適応しても空しいばかりで、気力が無くなることの繰り返しでした。もう繰り返している余裕が無く今は自分の転換期だと感じます。
ひとつひとつが全部であることを、お茶碗、ピアノ、焙煎を例にしてお話くださると、とてもよくわかります。最大のパフォーマンスを発揮できる日常であるかどうかを考えます。朝は先生の作ってくださったお茶碗で先生が焙煎してくださったコーヒーを飲み、ピアノを聞き、世界で唯一のマーブリング衣装を身につけ出かけ、人に会い、そのままをお伝えできれば世界の役に立つと感じます。
帰りには、仲間が二人、マーブリングのカーテンを選びとてもとても嬉しいです。マーブリンはとても簡単に別次元にワープできます。別次元に囲まれて生きる、この自由は内面の自由へと広がります。
ありがとうございます。

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